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設備はきれいな病院です。
ほぼ全室個室ですが、差額ベッド代を支払う必要があります。
精神的には元気だった親が、運動機能が低下してしまったため、他の病院の進めで、運動機能向上のため、リハビリで入院させましたが、当初、レスパイトでの予定でした。
しかしながら、この病院の勧めで病院の計画に沿った入院へ切り替えたのが地獄への第一歩でした。
看護師による過度の行動制限、叱責によりせん妄、脱毛、認知症を発症し、数か月後に他界しました。
自身で簡易トイレへの排尿が可能でしたが、転倒の恐れがあるとのことでナースコールを呼んでから排尿をするように伝えられましたが、ナースコールを呼んでも看護師が来ないため、失禁してしまい、ショックで訴えたところ、看護師の手が足りないのでタイムリーに対応できないと伝えられたとのことです。
親族の私にも同様の伝達がありました。
また、過度の行動制限で、車いすでの移動が十分可能であったにもかかわらず、閉鎖的な病室からリラックスしたいとロビーへ行きたいと伝えても看護師の付き添いがないとできませんでした。
その看護師も依頼すると、ものすごい迷惑そうな顔をされ、拒絶されるなど数多くの嫌な思いをしました。
継続してこの病院へ入院していましたが、持病の症状が悪化し、この病院では対応しきれず、転院を進められました。
転院する当日も、無理やり朝食の食堂に連れていかれ、持病の再燃で厳しい状況で自身では食事がとれないのに放置され、うなだれている親をみて、この病院をいち早く退院させたかったのですが、転院後も、症状が回復すれば、ここに戻さなければならないといわれ、やむを得ず戻しました。
この病院も入院期限があるとのことで他の病院へ転院させましたが、その後すぐに亡くなってしまいました。
今は後悔で、眠れない日々を過ごしています。
親の笑顔を返してほしい、親の無念をはらしてやりたいと思い、投稿させていただきました。
関係者の方は、自身の親、または、自身や身内に介護が必要となった場合に、どのように介護されれば幸せに過ごせるのかを、当事者意識をもって今一度考えていただきたいと思います。
リハビリで定評のある病院。脳梗塞でほとんど会話もできず、救急病院では寝たきりを覚悟して下さいと言われていたが、自力で歩き、普通の人と会話できるまで回復した。
3か月飲食できず、中心静脈栄養で転院しましたが、2ヶ月で3食ムース食を食べられるようになりました。どんな時にも迅速に対応してくれ、リハビリのプロフェッショナルチームと感じました。とても感謝しています。早く病院が再開できることを願います。
世田谷記念病院から徒歩10分以内で歩いて行ける病院一覧